『吉田松陰一日一言』

川口雅昭氏編  致知出版

『吉田松陰一日一言』

―魂を鼓舞する感奮語録―

「浩然の気②」

 

此の気の凝る所、火にも焼けず水にも流れず。忠臣義士の節操を立つる、頭は刎ねられても、腰は斬られても、操は遂に変ぜず。高官厚禄を与へても、美女淫声を陳ねても、節は遂に換へず。亦剛ならずや。凡そ金鉄剛と云へども烈火以て溶かすべし。玉石堅と雖も鉄鑿以て砕くべし。唯だ此の気独り然らず。天地に通じ古今を貫き、形骸の外に於て独り存するもの、剛の至りに非ずや。至大至剛は気の形状模様にして、直を以て養ひて害することなきは、即ち其の志を持して其の気を暴ふなきの義にして、浩然の気を養ふの道なり。其の志を持すと云ふは、我が聖賢を学ばんとするの志を持ち詰めて片時も緩がせなくすることなり。学問の大禁忌は作轍なり。或は作し或は轍むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の志を緩がせなくするを、其の志を持すと云ふ。  安政2年7月26日「講孟劄記」

【訳】

この気が凝り固まれば、その心は火にも焼けず、水にも流れない。忠義の臣や自分を捨てて、正義に殉ずる人がその節操を堅く守る様は、頭を刎ねられ、腰を斬られても、絶対にこれは変えないのである。高い地位や俸給を与えても、また、その眼前に美女を並べ、その淫らな声色を聞かせても、節操は最後まで変えないのである。何と強く堅く、猛きことではないか。およそ金や鉄であっても、烈しく燃える火で溶かすことができる。玉石であっても、鉄の鑿で砕くことができる。ただ、この浩然の気だけはそうではない。天地の果てまで満ち溢れ、昔から今までずっと一貫しており、形を超越して、ただ一つだけ存在するものである。何と至大至剛は浩然の気の形とありさまであり、孟子の「直を以て養ひて害することなき(この気を正しい道を実践することによって養ひ育て、これを害することがない)」と、いうのは、その志をもちつづけて、その気を暴うことがないということであって、これこそが、「浩然の気」を養う方法である。その志をもつというのは、聖賢の正しい生き方を学ぼうとする志をもちつづけて、一瞬でも気を抜かず、いい加減にしないことである。

学問を進める上で絶対にしてはならないことは、やったりやらなかったりということである。ある時はやり、ある時をやらないということでは、結局成し遂げるということはない。だから、つかの間もこの志をいい加減にしないことを、その志をもちつづける、というのである。