自分を成長させたい、何とかこの問題をクリアしたい…と望んでも、
それが簡単に解決されることは稀でしょう。好結果に至るまでの道のりは、なかなか厳しいものです。
 今週は、二月に開催された冬季ソチ五輪で、男子シングル・フィギュアスケート選手の一人として活躍した、
町田樹選手のエピソードを紹介しましょう。
 町田選手がフィギュアスケートと出合ったのは三歳の頃です。
家族に励まされながらトレーニングを続けますが、特に熱心に応援してくれたのは母の弥生さんでした。
母子での早朝ランニングを日課とし、遠征中や合宿中も毎日会話をして、弱音を受け止める相手になってくれました。
用具代や遠征費がかさんだ時は、昼と深夜に飲食店で働くなどして、やりくりをしてくれました。
 運動能力に恵まれていたわけでもなく、スポンサーやマネジメント会社のサポートもない中で、
町田選手は、オリンピック出場の夢に向かってひたすら努力を続けました。
家族の温かな支えもあって、メキメキと実力を上げ、やがて国際大会にも出場するまでにレベルアップしていきました。
2012年のグランプリシリーズ中国大会で優勝。その後のグランプリファイナルにも出場しますが、成績はまさかの最下位でした。
直後の全日本選手権でも9位と惨敗し、ソチ五輪を前に、精神的にひどく落ち込みます。
 スランプに陥った町田選手を、ある日、母親の弥生さんは「自分自身を変えないと一生勝てないよ」と叱り飛ばしました。
母の厳しい一言と、そこに込められた深い慈愛にハッとさせられ、町田選手は奮起します。
気合を入れるため髪を丸刈りにして、坊主頭の写真と共に、「試合期間中は電話してこないで」と母に決意を伝えました。
弥生さんは、そのメールから「何としても五輪に行く」という強い決意を感じたといいます。
さらに、毎日の練習時間を自主的に一~二時間延長して、再起にかけたのです。
 その後の試合では「自信を持って演じられるようになった」とコーチからも評価され、
ついに二十年間憧れていたオリンピックの舞台へ立つことになったのでした。

 困難に直面した時、「困った、困った」と愚痴を言い、弱音に終始していては、気持ちは萎縮するばかりです。
状況を打開するのは、「やってやるぞ」「この苦しさを機会に自分を磨くぞ!」という前向きな心境と、「
成功するまでやり続ける」という継続力でしょう。
 倫理研究所を創立した丸山敏雄は、青年に向けた書の中で、
「心境は、苦難あるごとに開け、障害にあうたびに成長する」(『青春の倫理』)と喝破しています。
困難な問題に果敢に挑戦する時、積極心は倍増され、知恵や才覚が湧き出てくるものです。
苦難の中でこそ自分が磨かれると知り、今直面していることから逃れずに、一歩ずつ前進していきましょう。

「苦難は幸福の門」強い決意のなか、立ちはだかる壁を乗り越えていきます。