倫理の実践をしても、なかなか思うような結果が得られない、と嘆く人は多いようです。
「社長が率先してトイレ清掃をすると、社員も進んで清掃をするようになった」
という体験を聞いたとしましょう。
ところが、いざやってみても、社員が変わる気配はありません。
〈これだけやっているのに、なぜ良くならないのだろう〉と思ってしまいます。
これは、「こういう実践をすればこうなる」という理屈に頭が支配されているのです。
倫理運動の創始者・丸山敏雄は実践の要件として、「結果を考えぬこと」を説きました。
結果を考えぬ 予想せぬ。うまく行くだろうとか、あぶないとか、どうかしらんとか、
やれるかしらんとか、うまく行ったら大もうけだとか、これをやったらえらい名誉だとかいう、
一切の結果について思いをもたぬ。
(『実験倫理学大系』より)
物事を行なう上で、予測や期待を持たないようにすることは、一
見すると難しいことのように思えます。
しかし、今この時、目の前のことに無欲至誠で取り組む時、実践は、思いがけない結果をもたらすものです。
自転車部品メーカーを経営するM氏の会社には、仕事の要領が悪い年配社員がいました。
電話応対で自分の会社の名前を忘れてしまったり、FAXの送信先を間違えることも度々ありました。
M氏が仕事を任せる度に、ミスをする姿が目に入ってきます。
〈いつ辞めさせようか〉と、それだけを考えていた氏は、倫理法人会の幹部研修で訪れた講師に、何気なくその話をしました。
すると、「うちの会社も同じですよ」と言われたのです。
続けて「Mさん、その社員を絶対に辞めさせてはいけませんよ」と助言されました。
〈とても無理だ〉と思いましたが、「約束してください」という講師の言葉に、M氏は「わかりました」と返事をしました。
その後M氏は、その社員をとにかく褒めて、辞めさせないように努めました。
ところがある日、その社員から突然「辞めさせてください」と言われたのです。
以前のM氏ならすぐに了承をしていたところです。
しかし、その時は、辞めてもらっては困る、会社にいてほしいと本心から引き止めました。
それでも社員の意志は変わりません。盛大な送別会をして、その社員を送り出しました。
半年後、会社を辞めた社員から「再就職しました」との電話がありました。
新しい就職先はM氏の会社の得意先でした。しかも、部品を受注する担当者として仕事をしているというのです。
その後、仕事のパートナーとして、とてもよい関係を築くことができました。
そして、このことが、M氏が社員への見方を改めるきっかけとなったのです。
先のことを考えず、私欲を捨て実践に励むことによる「心のありよう」が、まさかと思うような「結果」に結びつくのでしょう。
今、私自身も見返りを求めない行動習慣により神様からプレゼントを頂いています。
まずは行動と継続ですね。