吉田松陰を学ぶ

吉田松陰を学ぶ

12月14日
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雪中の松柏愈々青々たり①/吉田松陰一日一言

天の将に大任を是(こ)の人に降(くだ)さんとするや、必(かなら)ず先(ま)づ其(そ)の心志(しんし)を苦しめ、其(そ)の筋骨(きんこく)を労(ろう)せしめ、其(そ)の体膚(たいふ)を飢(う)ゑしめ、其の身を空乏(くうぼう)にし、行其(ぎょうそ)の為す所に払乱(ふつらん)す。心を動(うご)かし性を忍び、其の能(よ)くせざる所を曾益(そうえき)せしむる益(えき)せしむる所以(ゆえん)なり。
孟子本文

余(よ)野山獄(のやまごく)に在(あ)る時、友人土屋松如(つちやしょじょ)、居易堂集(きょいどうしゅう:明の遺臣俟斎徐枋(しさいじょほう)の著)を貸し示す。其の中に「濡生次耕(はんせいじこう)に与ふる書」あり。
才を生じ才を成すと云ふことを論ず。大意(たいい)謂(おも)へらく、天の才を生ずる多けれども、才を成すこと難(かた)し。譬(たと)へば春夏の草木花葉(そうもくかよう)欝蒼(うっそう)たるが如(ごと)き、是(こ)れ才を生ずるなり。
然(しか)れども桃李(とうり)の如(ごと)きは、秋冬(しゅうとう)の霜雪(そうせつ)に逢(あ)ひて皆(みな)零落凋傷(れいらくちょうしょう)す。独り松柏(しょうはく)は然(しか)らず、雪中(せちゅう)の松柏(ようはく)愈々(いよいよ)相青々(せいせい)たり。是れ才を成すなり。

【訳】
天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、其の筋骨を労せしめ、其の体膚を飢ゑしめ、其の身を空乏にし、行其の為す所に払乱す。心を動かし性を忍び、其の能くせざる所を曾易せしむる所以なり(天が重要な任務をある人に与えようとする時には、必ずまずその人の心や志を苦しめ、その体を疲れさせ、その肉体を飢え苦しませ、その衣食を乏しくして困らせ、また、こうしようという意図とは違うようにするものである。これは、天がその人の心を発憤させ、性格を辛抱強くして、これまでできなかったこともできるようにしようとするための試練である)。
孟子本文
私が野山獄にいる時、友人である土屋松如が、「居易堂集』〈明の遺臣侯斎徐坊の著〉を貸してくれた。その中に、「潘生次耕に与ふる書」というものがあった。それは、才能を生じ、才能をなすということが論じられていた。その大体の意味は、次のようであった。「天が才能を人に与えることは多いが、その才能を自分のものとして、完成させることは難しい。才能を与えるとは、例えていえば、春や夏に草木の花や葉が青々と盛んに茂るようなもので、これが才能を生じるというものである。しかし、桃や李などは、秋や冬の霜や雪にあえば、みな枯れ落ちてしまう。ただ、松や柏(かしわ)だけはそうではなく、雪の中でも益々青々とそのみどりを保っている。これが才能を完成させるということである。
安政三年四月十五日「講孟割記」