月日を刻んで年末を迎えるとすす掃い、大掃除が行なわれます。一年の汚れを落とし、新しい年を迎える準備です。
しかし、掃わなければならないすすは、目に見えないところにも積もっているのではないでしょうか。心のすす掃いも大切です。
私たちが学ぶ純粋倫理は、心の持ち方を大切にします。なぜなら、心の持ち方と物事の成否が繋がっているからです。
卑近な例でいえば、不足不満を抱えて、イライラした気持ちで仕事に臨んでもうまくいかないばかりか、危険な状況を招きかねません。
自動車の運転などはその最たるものでしょう。
とりわけて、恐れ、怒り、悲しみ、ねたみ、不足不満の心、それはただに、一切の病気の原因になっているだけでない。
生活を不幸にし、事業を不振にするもとであり、己の不幸をまねく根本原因であることを知らぬ。(
丸山敏雄著『万人幸福の栞』第十六条より)
私たちは、神ならぬ人間ですから、こうした心が日常のなかで湧き上がってくるものです。それをどう切り替えるかが重要です。
それはすなわち、マイナスの心、そのもとにある自分のエゴを捨てることにほかなりません。これが心のすす掃いにつながるのです。
一年を振り返ってみれば、不足不満など、マイナスの感情が何度湧き起こったことでしょう。
それはもう、数え切れないくらいかもしれません。
それらの多くは、自分の思い通りにならなかったことから起こってくるものです。
しかし、後から思い返してみると、そうした状況から学ぶこともあったのではないでしょうか。
当初の計画通りには行かなかった、会社として大きな損害をこうむった、社員間でトラブルが起きた、
こうした表層だけを見れば、不足不満も起こるでしょう。
しかし、後から心静かに振り返る時、少なからずメリットもあったはずです。
その失敗から、日常では得がたい教訓を学んだ社員もいるでしょう。
平穏無事に過ごしている時には気がつかなかった社内の課題や無駄を発見できたかもしれません。
長い目で見れば思い通りにいかなくて良かったのです。問題は早く発見できるに越したことはありません。
むしろ、それに感謝すべきでありましょう。
こうした見方を広げていくと、現象ばかりでなく、人に対しても、物に対してもまず、感謝の心を向けることが大切だとわかります。
特に、つい責めたり嫌ったりしてしまった対象には、心の中でしっかりとお詫びをして、お陰様という心に切り替えていくことです。
責め心も、嫌う心も、何も生み出さないばかりか、人を傷つけ、物の働きを奪うものだからです。
大掃除や年末のあいさつ回りも、こうした心で取り組むのと、そうでないのでは、その後が大きく違ってくるでしょう。
感謝とお詫びの心で一年をしっかりと総括して、万全の状態で新年を迎える準備をしたいものです。