悩みがあるから前進する

人生に悩みがあることによって、その人はさらに前進できる。
悩みとは、人なり、集団なり、民族なりの前進、進歩の親である。
家がせまく、古くもなった。家族が多くて悩みも多い。何とか建てましをしたい。できればべつに家を求めたい。
むつかしいけれど、こうした悩みがあれば、つぎのうつ手が考えられてくる。
無駄をはぶき、貯蓄の率を多くする。愚痴をやめて、将来の計画をはっきりさせ、仕事に精をだす。
やれるだけのことを、毎日せっせとやってのける。これは前からみれば、一段の進歩である。
子どもが悪遊びをする。ケンカもやる。かっぱらいもした。注意をしても、きき目がない。どうすればよいのか。親の悩みは深刻である。
だが、ここから親の前進が始まるのだ。学校の先生に積極的に質ねる。先生から、さらに権威ある専門家を紹介してもらう。
子どもは親の心を実演すると教えられた。親のどこにスキがあるのか。夫婦の気持ちが一致しているか。
親は仕事に打ち込んでやっているか。子どもを一方的に責めているようなところがありはしないか。
たしかにある。これではいけない。まず親の生活から建て直しだ。こうして前進が始まる。
病気になった。出費がかさむ。医者にかかっても、はかばかしくない。家庭が暗くなる。悩みはつきない。さて、どうしよう。
病気になった根本的原因は、ほかにないか。精神的な問題はないか。不平不満や心配ごとが、いろいろとある。
自分の力では、どうにもならないのに、あれこれと心をつかっている。これでは、どこまでいっても駄目だ。自分でどうにもならないなら、きれいさっぱり、人にまかせ、天地自然のなりゆきにゆだねるほかはない。そうだ、そうしよう。それでゆこう。
例をあげればきりがなく続くが、集団でも民族的なことでも同じ、すべての悩みから進歩が生ずるのである。
悩みをそのままほっておくのではなく、これらに正しく対処してゆけば、かならず新しい前途が始まるのである。
自分の、団体の、民族の思うようにならぬところから悩みが生ずる。すべて思い通りに運べば、べつに悩みはないのだ。
だが、思い通りになることほど、危険なことはない。安住、わがまま、ごうまん、思いあがり、その他……個人的にも、
集団的にもそこに進歩は生まれず、むしろ危険な状態さえ発生する。
自己はすべて他との関連の中で生きている。人や物、大自然などの間がらで、生命が維持されてゆく。
だから思い通りにならず、悩みがいろいろと生ずるのが、むしろあたりまえなのである。悩みは苦難にも通ずる。
どこがどうなって悩みが生ずるのかと、これを客観視し、その原因をさぐり、障害を克服しようとする。
そこにこそ進歩があるのである。悩みこそ、人生の妙味の源泉である。
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何事も、物事の根本を見出し、それを改善することですね。
その事により問題が解決でき人間的にも成長出来れば良いですね。