いったいなぜ近頃は事故が多いのであろうか。もちろんそれには当然ながら原因がある。
偶発的と思われる事故に対しても、人為的、または自然的な原因が必ずあるのである。
悲劇を二度、三度と繰り返さないためにも、起こった事故に対する心がまえは、
しっかりと持っておきたい。それは人を責めたり、攻撃したりする意味ではなくて、
その事故に直接、間接に関係する者が自らをかえりみて、
その事故に対する反省の念をしっかりと持つことである。
物理的な事故原因の追究は、十分に為すべきことはいうまでもない。
それは、当たり前のことである。必要なのはそうしたことの、
もうひとつ根本にあるところを反省することである。
それは事故を生活の赤信号と受けとることである。
平素から何か不自然なやりかたをしていて、それがたとえ、
たいしたものでないように見えても、積もり積もって、ふいに大きな事故を引き起こすのである。
ある会社で新型の乗用車を購入した。若い社員がちょっと練習をしたいからというので、
まあ、いいだろうと許可をした。
ところが、ガソリンを入れにいって帰る途中、岩壁の迫っている溝に落ちこんで、
車体の片側を大破したのであった。購入してわずか五日目のことである。
報告をきいた会社の業務部長は、その管理を受け持っていたので、一瞬憮然としたが、
ただちに次のように反省したのであった。
第一、社長はその青年にまだ運転させる時期ではないという意向であったのに、
その気持ちを十分に尊重せずに運転をさせたこと。
第二、新しく購入した自動車の責任者をはっきりさせなかったことが、よくないこと。
第三、新車に対して十分な配慮をせずに、軽々しい気持ちで扱っていたこと、などである。
その事故を起こした青年は免許証は持っていたけれども、しばらく病気で、
運転をしていないので、危ないと社長は見ていたのである。その社長の判断を軽く見たのが、
配下にある者として間違っていたと部長が反省したのであった。
また一般に、機械とか道具は、それぞれの責任者をつけないと、つい粗末になって、
壊れたりしやすい。大切に扱えば長持ちして、こちらのためによく働いてくれるが、
乱暴に扱うと、すぐに腹を立てて、壊れてしまったりする。さっきの会社の場合も、
このようなことが総合されて、新車が事故を起こしてしまったのであった。
業務部長は以上のように、その事故についての反省をして、やがて修理されてきたその車に対し、その後は適確なやりかたをとったので、事故は起こらなくなった。
この事故に対して社長は社長として、当の青年社員はその立場から、同じく赤信号として、
それぞれにふさわしい反省をしたことはいうまでもない。
そして、それぞれの生活を立て直して業務に打ち込んでいる。
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どんなに小さな道具でも粗末にはせず、大切に扱います。