物価はどんどん高くなる。乗りものに乗っても、食堂に行っても、
何を買っても高いという感じが消えない。ストがはじまり、人件費があがり、
そしてまた諸物価にはね返る。
こうした経済上のいやなこと、困ったことなどに直面して、どのような心がまえでいるべきか。
そのほか天災、地変もあれば、泥棒にあったり、病気にかかったり、会社がつぶれたり、
人に裏切られたり、さまざまな問題もある。こうしたすべての出来ごとにたいして、
まず私たちは、どのようにあるべきなのか。
簡潔にいおう。私たちはまず、こうしたものを肯定することだ。よしとして受け入れることだ。しっかと、わが胸に、心に受け止めることである。
といえば、ただちに疑問が湧こう。物価はうなぎ昇りに高くなるままでよいのか。
病気になったら、治さなくてもよいのか。火事にあっても、泥棒に入られても、
それでもよしとじっと我慢するのか。
もちろんそうではない。肯定とか、受けるとかいうのは、
そのままほうっておくというのではない。当然よくもないものはよくないのだし、
直すべきものは、直さねばならぬ。法を犯す者を、
そのままほっておいてよい道理はないのである。
ここに肯定するとは、すべての出来ごとを、まずそのまま捉える、
そのとおりにキャッチするということだ。雨がふったら、その雨降りというできごとを、
正しく受けとめるのである。そして傘をちゃんとさして出かける。嵐になれば、
そのことをそのまま肯定する。そして風を防ぐようにする。雨が降り、風がふいているのに、
そうではないなどと否定したところで、どうしようもあるまい。
すべて原因があって結果が生ずるという因果律の法則は、自然界、
人間界のすべてにあてはまるのであるから、目の前の現象を、まずそのまま肯定し、
受け入れるのでないと、正しく対処することはできない。
台風は起こるべくして起こっているのだから、はじめからこれを否定していると、
正しい措置をとることが難しくなる。私的感情を雨や台風にぶっつけていても、役にたたぬ。
この意味では、あらゆる苦難にたいし、「そう来たか、よろしい、では、こうしよう」
という心がまえで、まずその苦難を肯定し、つぎにどうするかを研究することだ。
これを「よろこんで苦難にあたる」という。苦難をいやがり、きらい、おそれ、
逃げまわるというような否定的態度では、
じつはその苦難によって与えられるべき数々のプラスを失ってしまうことになる。
病気などは人生の最大不幸のひとつだが、病気にかかったら、「この病気にかかった。
よろしい。これも原因があってなったのだから」とまず肯定して、
ではこうしようと心がまえをきめることだ。これに反し、その病気をきらい、おそれ、
心配ばかりして否定していると、ますます病気は重くなり、正しい解決法ができにくくなる。
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自分は、今迄の経験で、困難にあった場合、
まず覚悟を決めること。この事により問題が解決していく。