みんなに知らせよう!

人を改めさせよう、変えようとする前に、まず自ら改め、自分が変ればよい」という教えがある。これはたいへんよい言葉だと思う。親子や夫婦の間でも、職場の人間関係や交友などにおいても、ひじょうに実践効果のいちじるしい内容をもっている。
子どもが反抗している。お前がいけないのだと、頭からどなりつける。
すると、「なんだ。お父さんは勝手なことばかりおしつけて……お父さんが悪いんだ」
と子どもはなおも抵抗する。子どもがいうことをきかないとき、
子どもだけを改めさせようとしないで、まず親自身のいいかた、
態度、心がまえなどを改めてかかることが先なのだ。
 結婚して二年にしかならない若妻が、夫と離婚したいという。
なぜかときくと、「夫はいちども、ごくろうさんとか、ありがとうとか、
愛情のある言葉をかけたことがない。わたしが、つくろいものをしてあげても何もいわないし、
まごころこめて料理をつくっても、味がどうとか文句はいっても、ほめてくれたためしがない。
こんな男とは、とても生活できません」ということだった。
それで、「あなたの気持ちはいちおうわかるけれど、ではあなたのほうで、
ご主人に感謝の気持ちをあらわしたり、ほめたりしたことがありますか」ときいてみると、
「あんな欠点だらけの男はほめようがありませんよ。だから、ごくろうでしたなどと、
口がまがってもいえませんよ」という返事であった。
これでは、どうにもなるまい。相手を変えさせようとするには、まず自分が変わる、
自分が変わらないで、夫でも妻でも、わが子でも、友人同僚、その他相手が変わるわけがない。
これは日常の些細なことがらの間にも、たいせつな心がまえとなるべきなのだが、
現代はその反対で、何かといえばすぐ、「お前がわるいのだ」「まずあんた達が変われ」
といったぐあいに、自分のことは後まわしにしておいて、
相手を責めるような態度がいたるところに見られるようである。
これではどこまでいっても家庭も職場もよくなりはしない。争いは絶えず、悪くなる一方である。
だから「相手を変えるよりまず自分」といった内容のことは、日常生活の心得として、
大いに人々に知らされ、ひろめられるべきことがらだと思う。
それを人々に知らせることによって、自分自身の実行力もついてくる。
いつか人は、そのよいことを忘れて、まず相手を責めようとする。しかし人にすすめていると、相手を改めさせようとする気もちが出てきたとき、ハッと気づくようになるものだ。
 自分だけわかっていて、ひとりで実行できるというのは、よほど偉い人だ。
そんな偉い人は、ほとんど居るまい。私ども凡俗の人間は、よいことは人にすすめ、
それによって自分自身が教えられ、導かれて、よいことを実行できるようになる。
人間には誰にもあやまちがあるであろう。そのあやまちにたいして、すぐに反省し、
あらためることができるのも、そのよいことを人に知らせ、すすめていればこそであろう。
人につたえるとは、同時に自分の自覚を深めることになるのである。
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さきに、自分が変わります。