「ありがとう」という謝意を形で伝えるには、どのようにすればよいか、考えてみましょう。
たとえば、男性経営者が奥様に対する場合、単に「ありがとう」
と発するだけでよいのでしょうか。
たしかに言葉という形ではありますが、肝心なのは、思いが相手に伝わったかどうかです。
「食事がおいしかった」「掃除が行き届いていて気持ちがいい」「家を守ってくれるから働ける」といった事柄への感謝は、もう一歩突っ込んだ形で表わしたいものです。
たとえば毎日、妻の肩を五分間揉んでやる、腰や足の裏を指圧してやる、日に一度、
手紙(ラブレター)を書いて渡す、一日一本、花を買って帰る…などの工夫をすることで、
思いもさらに伝わっていくものかもしれません。
「感謝できない」「恩返しの心が起きない」「身近過ぎる故、愛情があるのかわからない」
といった方が、両親や配偶者に日に一度、葉書を出す実践を通して、
思いを深められた体験も少なくありません。
次に、「私は○○さんを尊敬しています」といった心の内の敬意を形に表わすには、
どのように努めればよいでしょう。
それにはまず、相手をよく知り、よく見て真似ることです。そして、己の我を捨て去り、
対象者に没入する(一体となる)が如くに頭を下げることです。
江戸時代の医師で国学者の平田篤胤(あつたね)が神様を拝む時には、
如何にもそこにおられると思わされるような敬虔な姿であった、といいます。
そして、第三者(周囲)にも、その内面が伝わった(波及した)というのです
(丸山敏雄著『純粋倫理原論』)。
このように形を尊重することは、生活にけじめをつけることに結びつきます。
目に見えない神仏や祖先の御霊に、拝礼、挨拶、頭を垂れるといった行為をとるとき、
親しみがわき、謙虚になり、豊かな心が涵養されるのです。
墓参という形についても同じことがいえます。倫理研究所会長・丸山竹秋は、
墓参りをきちんと行なう人の仕事や家庭は比較的うまくいっていることに触れ、
その理由をこう述べています。
墓を大事にするということは、親祖先を大切にするということと、
同じことであるからであります。親祖先を大切にし、そのおかげを思うということは、
自分自身の生命を感謝し、生命をより充実させることにほかなりません。
(丸山竹秋著『ここに倫理がある』)
自分の肉体、精神は、親祖先の肉体精神、つまり生命が積み重なったものにほかならない。
だから墓を大事にする(墓参をする)ことは、わが心をひきしめ、
自分の生命の靭帯に油をさすような働きになるのです。
遠方に墓があるような場合、実際には、年に一度の墓参りもなかなか難しいものです。
そうした場合は、親類か、誰か然るべき人に墓のことを頼んで、その人に玉串料や線香代、
花代をことづけるのは大変ゆかしいことです。月に一度は、
親祖先との心の交流を形に表わしていきたいものです
。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ありがとうの言葉、形に表し伝えます。
お墓参りは車で10時間の距離、帰福時にはお墓参りします。